終焉

 かちり……かちり……。
 ゆっくりと……歯車は回っていく……。
 かちり……かちり……。
 ゆっくりと噛み合わなくなる歯車が……。
 かちり……かちり……かちり……。
 ……狂った歯車は……気づかれぬまま……ゆっくりと……内側から……。




 N市支部はいつものように騒がしく、取りまとめる支部長もせわしなく働いていた。
 最近N市近郊ではFHセルが活発になってきており、息をつく暇もない。
 それでも優秀な支部長と支部員達が笑いあい、時に泣きながらもN市を守っていた。
 近々N市公立高校では成人式兼同窓会が行われる。
 N市を離れていた者もここに変わらず住んでいる者も、一堂に会し軽い祭りを行うのだ。
 そしてその祭りの為に、高校卒業からこのN市支部で働く柳は支部長室に呼び出されていた。

「何か御用ですか、支部長」
「そうなのよ~。これ、藍華ちゃんに着てもらおうと思って~」

 のんびりとした口調で話しながら支部長、錦の机には色鮮やかな着物が鎮座していた。
 困惑した表情で柳は着物と錦を交互に見つめる。

「あの、これは……」
「ほら、近々成人式でしょう? 用意してみたの~」

 にこにこと満面の笑顔で柳に着物を差し出した錦は困惑する柳をしり目に奥の普段全く使われていない支部長専用の仮眠室へと連れ込んだ。

「え、ちょっ、支部長……!?」
「いいからいいから~~」

 引きずられるままに奥へ行くとさっそうと服を脱がされ、着物を着させられていく。
 あまりの手際の良さに抵抗する間もなく着替えさせられ、完成とばかりに背中を軽く叩かれると、柳は漸く我に返った。
 しかしあまりの出来事に言葉を発せずにいると、満面の笑みのまま錦は柳に声をかける。

「成人のお祝いとして受け取ってもらえると嬉しいですわ~」
「ですが……」
「いいのよ~~。いつも手伝ってもらっているしね~」

 サイズを確かめるように柳の周りをくるくると回った後、満足したように一つ頷くと、一つの細長い桐でできた箱を取り出してゆっくりと開く。

「これはね、私が成人式の時お母さまに買って頂いた物よ」

 そういってゆっくりと柳の髪に刺した。
 赤い、玉の二つ付いた簪。

「とっても似合ってますわ~」
「……あの、支部長……」
「ん? なにかしら? あ、それはさすがにちゃんと返してもらうから安心して頂戴な」

 両手を合わせてほほ笑む錦に柳が何か口を開きかけて閉じる。
 首を傾げて少し考えるそぶりを見せてから出す言葉に柳が軽く首を振って答えた。

「……いえ、お借りします」
「うんうん」

 いい子いい子と柳の頭をなでてご機嫌な錦は先ほどとは逆に丁寧に着物を脱がせていく。

「当日早めにいらっしゃいな。着物の着付けは一人では大変ですからね」
「解りました」
「でも、自分で着られるようになるのが本当は一番なのよ~。せっかく女の子に生まれたんですもの」
「……努力は、します……」
「うふふ、楽しみね~」

 錦はきれいに着物を畳んでたとう紙にしまうと、再びぽんっと手を叩いた。

「そういえば、駅前のシュークリームがあるの。一緒に食べない?」
「えっと……ではいただきます」
「すぐに用意するわね~」

 錦は支部長室をスキップでもしそうな勢いで出ていく。
 後に残された柳は少し眉をしかめるが、何も言わずただ支部長の帰りを待った。


 狂った歯車は……内側から……ゆっくりと……破壊されていく……。
 ……気付いた時には……すでに……。



―――――――――――――――



 上野谷に連絡が入る。
 ディスプレイを見ると霧谷からのようだ。
 すぐに電話にでると深刻な声が受話器から響いた。

「上野谷さんですか?」
「はい。上野谷です。どうしたんですか?」
「……N市支部の支部長、錦彩里さんにジャームの容疑がかけられています」
「……え……?」

 あまりにも現実からかけ離れたような霧谷の言葉に、声が詰まる。
 しかし上野谷は知っている。日常は容易に崩れ去るものだと。
 すぐに身体を引き締める。

「それは本当ですか?」
「ええ。N市近郊のFHが活発になり、それの対処に追われていたのですが、出撃の回数も多く検査の為出頭要請を幾度も出したのですが応じず……。それどころか出撃の回数が増えているようなのです」

 霧谷の説明を聞きつつ上野谷は別の端末を使って急いでN市へ向かう為の手配を進めた。
 しかしここからだとどうあがいても数日はかかる。
 この付近にディメンジョンゲートを使えるUGNエージェントも、向かえやN市に行けそうなエージェントも捕まらなさそうだ。
 舌打ちしたいのをどうにか堪えて話の続きに耳を傾ける。

「このままでは……いえ、もしかしたら手遅れかもしれません。至急N市に向かって下さいますか?」
「勿論です」
「ありがとうございます。……最悪の時は……」
「ええ、その時は全霊をもってN市支部長を『処分』します」
「すみませんがよろしくお願い致します」
「ええ。それでは」
「くれぐれも気を付けて」
「はい」

 そのまま通話は切れる。
 焦る気持ちを必死に抑えて上野谷はN市へと向かった。
 ――どうにか間に合ってくれ――
 そう必死に願いながら……。



―――――――――――――――



 成人式当日、比山は急いで駅を降りた。
 エージェントとして活動し始めて早1年半。
 元々チルドレンとして各地を回っていたが、N市に来てからは一度腰を落ち着けていた。
 しかしダークムーンとの闘いで功績をあげたおかげか、N市公立高校を卒業してから各地へとひっきりなしに呼び出しがかかっていた。
 最後にN市を訪れてからどれくらいの月日が経ったのだろう。
 地方に行く事が多かった為、N市の噂すらも聞けない日々だった。
 だが今日は成人式。N市公立高校卒業生の成人式は必ずN市公立高校で行い、成人式もといい同窓会が開催される。
 仕事はギリギリまでかかってしまったがどうにか成人式には出席できそうだ。
 急いで商店街を走り抜け、いつもN市に帰ってきた時に寄っている花屋へと向かう。
 ダークムーンの事件の時に知り合い、そしてジャームとして散って行った親友の墓石に備える花を買う為に。

「あら、久しぶりじゃないの。元気にしてた? また一回り大きくなったんじゃない?」
「はは、そうだといいんだけど」
「今日成人式でしょう? 大丈夫なの?」
「いや、実は結構やばいんでいつものなるべく早めにお願い」
「は~い」

 慣れた様子で花束が作られていく様子を見守る。
 一番最初に墓石に置く花束を、この店員と話し合い、数時間もかけて瀬名方に似合う、瀬名方のような花束を作り上げた。
 それ以来墓参りに行くときには常に同じものを頼んでいる。
 色鮮やかだがどこかシンプルでとても真面目な瀬名方らしい花束。
 この瞬間を見ているだけでも数少ない瀬名方との思い出が胸を優しく針でつついてくるようだ。
 それでも、今でも親友だと胸を張って言える。それが誇りでもあった。

「できたわよ」
「ありがとう。代金……」
「成人祝いって事で送らせてちょうだ」
「でも……」
「いいから、ほら、早くいかないと間に合わないわよ」
「……ありがとう! また買いに来るから!」

 押し問答をやっている時間は確かにない。
 急いで花束を受け取って、手を振る店員に手を振り返して走った。
 その途中、ふと錦とすれ違う。
 いつもなら自分を見かけたら真っ先に声をかけるはずの錦だったがこちらに気付いた様子はない。
 慌てて止まって後ろから声をかける。

「支部長ー」
「……あら、比山君。今日帰ってこれないんじゃないかと心配したのよ~」
「どうにか帰ってこれました。支部長はどこか行ってたんですか?」
「わたくしも仕事よ。もう終わったから大丈夫。式は見に行くわ」
「来てくれるんですね! それでこれから支部に?」
「ええ、急いで藍華ちゃんの着付けしなきゃならないの」

 ふふふと笑う錦に、なんだか解らないモノが胸を撫でる。
 少し疲れているのだろうか? という疑問が顔に出ていたのか錦はにっこりと笑った。

「大丈夫よ。ほら、瀬名方君の所に行くなら早くいかないと間に合わなくてよ」
「っとそうだった! じゃあ支部長、またあとで!」
「ええ、またあとで」

 時計を見ると本格的に時間が危ない。
 よぎったものはすぐに霧散しもはや抱いた事すらも忘れていった。
 そして商店街を抜け、少しの丘を上がってたどり着いた霊園。
 普段通り綺麗に手入れされた墓石の前にそっと花束を置く。
 その場に座り、じっと墓石を見つめた。

「今日、俺たち成人式だな。やっぱ玲人もスーツか? それとも袴? どっちも似合うだろうなー。俺は残念ながら袴着てる時間なくてさ。成人式だってのに直前まで仕事だぜ、まったく……。UGNも人手不足で相変わらず人使いが荒いのなんのって」

 墓参りに来る時にはいつもやっている近況報告。
 仕事や他の支部の面々。気に入らない人や優しくしてくれた人。
 暫く来ていなかった所為かとめどなく口からあふれる言葉は止まらない。
 そして無情に学校のチャイムが鳴り響く。

「……やっべ! もうこんな時間!? じゃあまた来るから」

 急いで立ち上がって軽く埃を払い、瀬名方に挨拶を交わす。
 いつもと変わらない挨拶。その瞬間風に煽られ花束から花弁が舞った。
 なんだか、呼ばれた気がした……。

「……玲人……?」

 しかし当然のように返事などあるはずはなく、比山は軽く頭を振って駆けだしていった。



―――――――――――――――



 ゆらり、と足元がおぼつかない。
 こんなことではいけない。自分は支部長なのだから、しっかりしなければ。
 FHセルからの帰り道、比山に声を掛けられて一瞬慌てる。
 気付かないなど失態だ。しかし何かを悟られた様子もなくほっと息を吐く。
 吐いた瞬間に体からあふれ出そうになるレネゲイドウィルスをどうにか体に押し込めた。
 今日は成人式。今日は、今日だけは……。




「これでいいわね。やっぱりかわいいですわ~~」

 支部長室の奥の仮眠室。柳は錦に着付けを施していた。
 着物を着せ終え、髪を結い上げて殆どしたことのなかったであろう化粧もばっちりさせている。
 そして最後の仕上げと細長い桐でできた箱を取り出して蓋を開けた。
 前回と同じように赤い玉が二つ付いた簪を錦が愛おしそうに手に取って結い上げられた柳の髪に丁寧に刺す。

「改めて成人おめでとう。3つだけ、上手に生きるコツを教えますわね」

 簪の位置を確かめ、ちゃんと止まっていることを確認すると錦は柳の目を見つめてふふっと笑った。

「素敵な大人になるのよ」
「綺麗な女性になるのよ」
「素晴らしい未来を歩むのよ」

 一つ一つ区切るように、言い聞かせるように言葉を紡いでいく。
 柳は目を見つめ返しながらそれをじっと聞いていた。
 こちらも、一つ一つ自らに言い聞かせるように。

「……少し難しいかもしれませんが……努力は、します」
「いい子。あらもうこんな時間。早くいかないと間に合わなくてよ」
「……それでは行ってきます」
「いってらっしゃい。またあとでね」


 支部の入り口まで見送る。
 FHセルの殲滅には成功した為、その報告書を早く書き上げて成人式に出席しなくては。
 まだ大丈夫。まだ、大丈夫。
 やらなければならない事が沢山あるのだと言い聞かせ、ふらつく足をどうにか踏ん張り足を踏み出す。

「支部長っ……!!」

 背後からかかる上野谷の声に錦はゆっくりと振り向いた。

「上野谷さん……?」
「……無事、か……?」
「何を言っているのかしら。無事でないように見えて?」
「……いや、……」
「まあせっかくいらしたのだし、立ち話もなんですから中でお話しませんこと?」
「……そう、だな……」

 口ごもる上野谷にくすくすと笑みを零して支部内へと入る。
 錦には上野谷が来た理由は解っていた。
 再三にも及ぶ日本支部への出頭命令を無視し続けている。
 霧谷にも散々迷惑がかかっているのだろうという事も想像がつく錦は支部長室に入ってからすぐに話を切り出そうと口を開いた。
 あと一日だけ、今日だけ待って欲しいと伝える為に。
 しかしそれは言葉になることはなかった。
 代わりに口から出た言葉は、錦が自身で思うよりもか細く、弱弱しい声だった。

「私……間に合った……んですの……?」

 その瞬間、身体の中の抑えていたレネゲイドウィルスが一気に活性化し始める。
 自分をよく知る『大人』が傍に来た事により、極度に安心してしまったのだ
 無理矢理抑えていた分反動もすさまじい。
 すぐに身体が、脳が、衝動に飲み込まれる。

『怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い』





『コワイナラ 、 スベテ  コワセバ……  』
「彩里!!!!」

 聞こえて来た声にほんの僅かにだけ意識が戻る。
 その場に倒れそうになったのを抱き留めてくれたらしい上野谷の驚愕に見開いた目、そして名前を呼ぶ、口。
 すぐにその口は引き結ばれて、眉間に深いしわが刻まれる。
 瞳が同様で揺れているのがこんな状態なのにも関わらずはっきりと見えてしまう。

「くそがっ……!」

 一瞬だけ上野谷が目を閉じるのが見えた。
 しかし本当に一瞬だけですぐに開いた目には力強い光が宿っている。
 錦は悟った。いや、本当は気づいていた。
 自分は最早手遅れなのだと。

「……すまない……。せめて、完全なジャームになる前に。お前が、お前でいる間に……ちゃんと殺してやる」

 苦し気に言う上野谷の手には槍が握られていた。
 暴れ狂う衝動を最後の力を振り絞って抑え込み、無理矢理に微笑みを浮かべる。

「……あとは……たのみ、ます……わ……」

 どうにか出した声にこくりと頷く上野谷を見て、今度は無理矢理にではない笑みが零れた。
 すぐに心臓へと突き立てられる衝撃に、それでも歯を食いしばる。
 抵抗しないように、衝動があふれ出さないように……。
 レネゲイドウィルスに侵された身体は思うように死なせてはくれないが、槍を抜かれ、大量の血液があふれ出ているのが解る。
 どれだけ出血すれば自分は死ねるのかなど、ブラム=ストーカーの自分に理解するのはたやすい。
 もう少し。あと少しだけこの衝動にあらがえる事が出来れば。
 そう思いながら、しかし僅かに失血のせいだけではない影を感じて薄目をこじ開ける。
 後ろに立っていたのは、手に剣を掲げた……

 ――ダメ!!!――

 必死に止めようとするが血液が致死量近くまで失われている身体は動かない。
 声を出そうにも口から出るのは自らの血液とわずかな空気だけ。
 上野谷は背後にいる人物に気付かず錦を抱きしめたまま。
 スローモーションのように剣が上野谷の背中から刺さっていく。
 慌てて振り返ろうとした上野谷の頭を押さえつけ、錦ごと身体を貫いた。
 こぽり、と上野谷の口から大量の血が吐き出される。
 絶対に殺すといわんばかりに何度か刺さっている剣で腹をかき回された。
 このまま上野谷を殺させる訳にはいかないと錦は霞行く意識の中で必死に忌々しく思っていたレネゲイドウィルスを集める。
 引き抜かれる剣に自らの血とエフェクトを全力で込めた。
 そしてその血を上野谷から引き抜かれる寸前に上野谷へと残す。
 おそらくこれでどうにかなるだろう。
 自分ができる最大限をやり終えた錦はうっすらと笑みを浮かべてその命を手放した。

 ――皆が幸せでいられるのなら、私はどんな事でも致しますわ……――



―――――――――――――――



 錦の行動を特に気づいた様子もなく、二人を刺した犯人は支部長机を近くに蹴り飛ばし、カーテンを引き裂いて机の上に放り投げると火を放った。
 すぐに火は燃え移り、机を、絨毯を燃やしていく。
 それを見届けて犯人は支部長室を後にした。
 僅かに意識を保っていた上野谷に全く気付く事もなく……。
 このような状況になってもなお上野谷の頭脳は活発に動いていた。
 いや、このような状況だからこそかもしれない。
 犯人を見ることは失血により殆ど視界がない為かなわなかったが、なぜ燃やそうとしたのかは想像がつく。
 こんな簡単に昼間の支部に出入りできる人間は限られている。
 元々訪問予定のある人間か、支部内の人間だけだ。
 支部長は本日行われる成人式に元々出席する予定であるのは以前から聞いていた為訪問客の予定はないだろう。
 であるならば、残りはN市支部の人間に限られる。
 そしてN市支部の人間ならば否が応でも痕跡は残ってしまう。
 それらをすべて消すためには支部を燃やす必要があるだろう。
 もしかしたらN市支部にいたというデータすらすでに抹消されているかもしれない。
 日本支部のデータですら改ざんされている可能性も否定は出来ない為、どうにかして今の現状をせめて、霧谷に報告しなければと端末を取り出そうとするも指が僅かに動くだけだった。
 それでもどうにかともがいていると指先に何かが当たる感触がする。
 霞んでいく意識の中、どうにか焦点を合わせて見ると、細く赤い塊。
 見覚えのあるそれは、上野谷がダークムーンの事件を終わらせた後、思い出にと錦が配ったUSBメモリだ。
 柳には紫、比山には青、配る本人には赤、そして上野谷には白に塗られた短い期間だが4人が一緒にいたときの記録。
 支部長机にしまってあったはずのそれは先ほど倒されたときに零れ落ちたものだろう。
 上野谷はそれを手にどうにか握りこむと、これだけは無事にと祈りながら意識を手放した。

 ――彩里、一緒なら怖くないか? 約束は、守れないけれど……――



―――――――――――――――



 急いで墓地を後にして、校門なんてわざわざくぐってられないと塀を飛び越えて漸く学校に到着する。
 静かなそこはもうすでに式が始まってる事を意味していた。
 やべぇ、という顔を隠しもせずに式場である体育館へと走って行く最中、ゾワリと悪寒が身体を駆け巡る。
 慌てて止まって後ろを見やれば、ニヤニヤとしている男がいつの間にか立っていた。

「……ここの学校の生徒じゃないみたいだけど、何か用か?」
「ああ……貴様が比山虎雄か? 悪いがここで死んでもらうぞ」
「なんの冗談だ?」

 比山の言葉にニヤついている男は答えず手に炎を灯してみせた。
 ワーディングも張らずに出されたエフェクトに目を見開いて直ぐにワーディングを張った。

「冗談じゃ、ないみたいだな」
「ああそうだ。そして、お前の弱点も解っているぞ」
「何……?」
「これでも食らってくたばれ!!!」

 男が盛大に叫ぶと巨大な火の塊が目の前に出現した。
 そしてその巨大な火の塊が投げ飛ばされる。

「っ!!? くそっ……、させるか!!!」

 ソレが向かうのは比山自身ではなく学校そのものだった。
 そこには成人式に出席している元同級生達、そして大切な校舎がある。
 直ぐに狙いに気付いた比山は一瞬の躊躇いも見せる事なく校舎と巨大な火の玉の間に立ちふさがった。
 自らは氷を出し、少しでも被害が及ばないように全力で守る。
 塊は比山の目の前で爆発、酷い衝撃が当たりを震わせた。
 爆音と爆風の嵐。しかしそれはすぐに鎮静化し、やがて痛いほどの静寂が当たりを訪れた。
 ゆっくりとした動作で比山は後ろの校舎を、体育館を見やる。
 校舎のガラスは割れ、一部は風圧で吹き飛ばされてはいたが校舎は崩れる事なく立派に立っていた。
 守れた。そう思った瞬間、校舎から走ってくる影が見える。
 それが見知った者だと本能が告げていて、どこかで安堵した。
 身体は最早動かない。普通の怪我なら再生が始まっているはずなのに全くその気配もない。
 あれだけ巨大な炎の塊を、そして爆風をその身に受けて身体が保ててる事自体が奇跡だと苦笑する。

 ――俺、今度こそ守れたよな? もう、いいかな、そっちにいっても……玲人……――

 声にならない声でつぶやいた瞬間、光がそっと肩に触れた気がした……。



―――――――――――――――



 成人式の最中、突如ワーディングが張られた。
 そして二つのレネゲイド反応。
 片方はなじみ深い比山の者だとすぐに解ったがもう一つは知らない者だ。
 ワーディングで一般人が倒れる中、急いで外へと走り出した。
 そう、すぐ隣にいた八重樫が気絶せずに訳も分からないという表情であたりを見渡して居た事に気付かずに……。



 柳が外に出ると同時に激しい爆音と爆風が辺りを駆け抜けていった。
 目も開けて居られず顔を両手で隠してやり過ごす。
 どうにかそれが収まると、目に飛び込んできたのはボロボロでどうにか立っている比山と、ニヤニヤと笑っている男が対峙している姿だった。
 男をにらみつつ比山の方へ駆け寄るが、すぐにそれが死体になってしまっているのだと経験から察せられてしまう。
 どうして、と声に出せずにそれでも原因が男なのははっきりしていた為柳は拳銃を抜き男に改めて向き直る。
 暗殺者の頃の感覚が、身体を、脳を、支配していく。
 錦に拾われてからゆっくりと消えていったはずの感覚。
 相手を殺せと魂が叫ぶ。
 消えたはずの感覚が再び戻って来た事に疑問を抱く事もなく、柳は男に向かって銃弾を放つ。
 男に届いたかと思った銃弾は、しかし男の作り出した炎の壁にかき消され、それを見届ける間もなく男が突進してきた。
 半歩下がって軽々とよけて、至近距離で再び銃弾を放った。
 今度はそれが当たるも、すぐに男の身体は再生していく。
 軽い舌打ちを一つ。そして自分が得意とする距離へと離れ、銃弾を叩きこむ。
 しかし炎の壁すら出さずにニヤリと笑うと柳へと剣を突き立てようとしてきた。
 被弾しながらの攻撃は、僅かに避ければよけられると感覚で解っていた。
 柳は体を少し右にずらし、今度こそ直撃させてやろうと拳銃を構えなおす。
 瞬間、黒い影が飛び出してくる。

「柳さん!! 危ない!!!」

 突然の出来事に柳は一切反応できず、瞬きもせずに見守ってしまう。
 何かを叫びながら男と柳の間に入り込んでくる黒い影。
 男の出した炎の剣がその黒い影に吸い込まれていく。
 その黒い影の顔が、その時になって漸く見えた。
 それは間違えなく、八重樫本人だった。
 なぜ、どうして、ワーディングは……。
 刹那の考えはしかし纏まる前に、暗殺者として鍛え上げられた、今なら殺せるという本能で男の脳天に風穴をぶち開ける。
 男が何かをつぶやいた気がしたが聞こえない。否、どうでもいい。
 目の前の、自分の大切な人が死にかけている。
 八重樫の体に食い込んでいた剣は、男が死んだことにより消滅したが怪我が治るわけではない。
 ましてや八重樫は一般人だ。本来ならば戦いに参加することなく気絶しているはずの人間。

「どうして……八重樫っ……なんでっ……」
「……ゃ、なぎ……さ、……ぶじ……? よかっ……」
「っ、弱いくせに、なんで出しゃばってきたのっ……!? 私が強いって、知ってたでしょ……!!?」
「……ははっ……そ、う……だった、ね……。でも……しょうが、ないじゃ、ない……か……。すきな、……おんなのこ、くらい……まもれ、なきゃ……おとこじゃ……なっ……っ……げほっ……げほ……」
「……やえ、がし……?」
「……ああ、ほん、と……に、ぶじ……よか……っ……」

 止血をどれだけしようと流れ出している血は止められない。
 傷はふさがる事もなく、徐々に八重樫の体から力が抜けていくのが解る。
 これは、何度も経験した、人間が死ぬときの……。

「いや、ねえ、まって……八重樫……! いやだ……いやだよ……ねぇ、返事してっ! お願いだから……っ!!」

 必死に止血をして呼び掛けてもそれ以降八重樫が反応する事はなかった。
 暗殺者としての感覚がよみがえったのに、暗殺者の時には不要だと言われた感情があふれ出す。
 悲しみ、憎しみ、不安、後悔。
 次から次へとあふれ出す感情を制御できず、やがてレネゲイドウィルスがそのストレスに耐え切れずに暴走を始める。

「ぅ、あ、あ……ああああああぁぁあぁぁあああーーーーーーー!!!!!」

 柳の絶叫が当たりに響き渡る。
 しかしそれに答える者はいない。
 そして無意識に柳は自らの腕に爪を立てはじめる。
 そうだ、自分なんかが生きているからこんなことになるんだ、と。
 抑えられない衝動が身を焦がす。
 それならば、いっそ。もう、あれほど守りたかった八重樫もいない。
 一緒に戦った比山も。
 ……一緒に、戦った……。
 そこまで考えて柳はゆらりと立ち上がり、顔を上げた。
 ……支部長……。
 UGN、N市支部がある方向をゆっくりと見る。
 柳が顔を上げた先に、しかし昼間なのにも関わらず何故か煌煌と輝いて見えるそこから、黒い煙も立ち上がっていた。
 距離から考えても間違いなく支部があった場所だ。
 八重樫と比山をこのまま置いていく事に一瞬躊躇ったのちに、そんな場合ではないと頭を軽く振って全速力で走り出す。
 自分を救って、拾い上げてくれた支部長。
 女の子なんだからと、今まで扱われなかった扱いをしてくれて、感情がどういうものか、幸せが何なのか、おいしい、甘いものを教えてくれた支部長。
 息を切らせてたどり着いたそこは、赤い炎の揺らめく場所になっていた。
 警察だか消防隊員だかの静止を振り切り、急いで中に入る。
 中には倒れている支部の人々。
 全員こと切れており生き残っている人はいない。
 レネゲイドウィルスの反応もなく、それでもなおただひたすらに支部長室を目指して駆け抜けた。
 漸くたどり着いた支部長室は炎の勢いがひと際激しく、うまく近づけない。
 顔を炎からかばいながら、どうにか中を覗くと倒れている人影が2つ見えた。
 間違えるはずもない、錦の姿と、それに覆いかぶさっているのは……。

「……うえ、のや……さん……どう、して……?」

 大量の血に濡れた、折り重なって倒れている二人はどう見ても生きてはいない。
 喉が焼けるように熱い。
 上野谷は今日ここにはいないはずだった。
 朝見かけてもいない。錦から何も聞いてもいない。
 どうして、なぜ……。
 柳は二人に手を伸ばした。
 しかしその行く手を阻むかのように、燃えつきたものが柳と二人の間に降り注ぎ始める。
 手は、届かない。
 全てが遠くに行ってしまった。
 やはり、自分が生きていたせいなのか……。
 一度収まった、いや抑え込んだ衝動が再び身を焦がす。



 ――自分さえいなければ、皆幸せになれたのかな……?――


 だが、それならばいっそ……そうだ……。


 スベテノ オーヴァードサエ イナケレバ シアワセニ……




 噛み合わない歯車はすべてを狂わせていく。
 しかし外側からは狂った事には気づけない。
 狂った歯車はすべてを侵し、壊していく。
 内側から、少しずつ。
 そして気付いた時にはすでに遅いのだ。
 そう、すべてはもう、とっくに壊れてしまっているのだから……。

  • 最終更新:2018-02-14 08:00:38

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